好きなものは好きなのさbyあさゐ
パリキチあさゐの思い出日記
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天守閣
今残っているのは天守閣があった高台だけです・・・。

徳川家光の時代に、天守閣は淀城に移築されてしまったそうです。

一応上に登ってみたのですが、結構キツイ階段です。急な上に、1段1段が高いっ!

運動不足のあさゐには駆け上がるなんて絶対無理!ましてや駆け下りるなんて。

それでも上から見た景色は中々のものでした。ちょーっとビルが邪魔ですが(^^;

庭園方向 本丸御殿方向

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清流園
二条城の北側に広がる、比較的新しい時期に現在のかたちになった庭園です。

戦後にはテニスコートになったりして、なかなか波乱万丈だったようですが

昭和40年に、旧角倉了以の自宅の一部や庭石・庭木等を無償で譲り受けたり

全国から集めた銘石、篤志家から寄贈を受けたものを使って完成したそうです。

東半分は洋風庭園、西半分は和風庭園になっているのですが、真ん中を横切ることは

出来ないので、グルリと周囲を時計回りに回るようです。結構な広さでした・・・。
和風 洋風

赤いじゅうたん
残念ながら紅葉のじゅうたんではないのですが(多分さくらかしら?)

赤い葉っぱが地面一面に落ちていました。

人間は立ち入り禁止の区域なので、踏み荒らされることもなく、掃除されることもなく

散るがままといった感じでした。

ただ食い意地のはっているあさゐとしては、かき集めて焼き芋とかしたい気分に

襲われてしまいました(^^;

ちょうどお昼時だったので、おなかが空いていたのかもしれません。
赤いじゅうたん

やっと見つけた紅葉
どうも思ったように紅葉が見当たらなかったのですが、やっと見つけました!

ガイドブックには(一応)紅葉の名所と紹介されていたのですが

松とかの常緑樹が多くってねぇ・・・。

いやそれはそれで立派だしキレイなんですけどね。あさゐの希望では

紅葉がワサワサッとあるのを期待していたんですけどね。

でも遊歩道はあるのに立ち入り禁止。なんでかしらねぇ?サービス悪いわ。

まぁ文化財ですからね。保護のためには仕方ないんでしょうね。
歩ける遊歩道沿い 歩けない遊歩道の先

お堀にて
例え建物が移築されたお城であっても、お城はお城。ちゃんと周囲には

グルリとお堀がありました。

気合を入れたら泳いで渡れそうだし、石垣だってそんなに高くないので登れそうです。

職業が忍者とかだったらですけど(^^;

白鳥が飛来しているらしく、音ちゃんと舞ちゃんとか名前がついているらしいのですが

どちらが雄でどちらが雌なのか、さっぱり区別がつきません。

あさゐのイメージではもっと寒いところにいると思っていたのですが

日本ぐらいの気温で大丈夫なんでしょうか?
白鳥 向こうの紅葉

二の丸庭園
思ったよりも紅葉が見当たらなかったのですが、庭園自体は見事なものでした。

1600年代に作られたらしいのですが、幕末には木もなく、池も枯れてしまい

荒廃していたそうです。その後宮内庁等による大改修が何度も行われ

今のような姿になったそうです。

二の丸御殿や本丸御殿はいわゆる城のイメージとは違いましたが(平屋だし)

やっぱりお城ですよね~立派なお庭でした。写真はないですが大きな蘇鉄もありました。
一般通路から 大広間から

二条城の御殿
唐門を入ると目の前に見えてくるのが、二の丸御殿です。入り口は車寄です。

まぁその名の通り、昔は車(馬車?輿?)が横付けされたりしたのかな~と思います。

内部を見学できるので靴を脱いであがるのですが、残念ながら内部は撮影禁止です。

歴史的に貴重な襖絵とかがあるので、フラッシュで傷んだりしないようにだそうです。

内部は遠侍の間~勅使の間~式台の間~大広間~蘇鉄の間~黒書院~白書院からなり

部屋数は33で800畳ほどあるそうです。将軍のお住まいとはいえ、すごい広さです。
二の丸御殿

そして内部の公開さえされていないのは、お堀の向こうにある本丸御殿です。

1788年に火事で焼失してしまい、現在の御殿は京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を

明治時代に移築したもので皇女和宮が住んだこともある由緒ある御殿だそうです。
本丸御殿

紅葉の季節
週間天気予報では、今日は雨だということでしたが、はずれてくれたおかげで

紅葉を見に行くことができました。

朝寝坊したので、近場で二条城に行くことになりましたが(^^;

やっぱり「早起きは三文の得」ですね。

紅葉の季節の間に、ご紹介したいと思います。あさゐの予想とは違う雰囲気ですが。

とりあえず今日は時間も遅いし、明日は仕事だし入り口だけ・・・。
東門?だったかな

上海への帰り道
周荘からの帰り道、朝から雨模様でしたが、とりあえずバスに乗り込み

一路上海へ。高速に乗るまでのあちこちに湖が見えました。

あまりに広くって、もう湖っていうよりも海!って感じでした。

右も左も湖ばかりなので、まるで湖の上を道路が走っているようです。
まるで海

そしてやけに観光バスや観光タクシーが多い高速道路の入り口を通過しました。
高速道路入り口

郊外でも開発が進んでいるらしく、いまだ古い家もありましたが、開発で

キレイな建物になっているところも多くありました。
開発地区

雲海度假村
周荘では1番の大きなリゾートホテルだそうです。英語ではユンハイホリディヴィラです。

湖のそばに建っているのですが、さすが田舎というかなんていうか・・・。

とっても広いホテルのようです。フロントは○棟、部屋は△棟、食堂は□棟といった感じ。

チェックイン&アウトはレイコさんがまとめてしてくれたので、問題なかったですが

朝ごはん食べに行くのが遠いよ~~。完全に別の建物だったし(^^;

お部屋自体には問題ありませんでした。広さもあったし、テレビもあるし。

ただ・・・お風呂がっ!お風呂のお湯が色づいているんですっ!

手を洗うぐらいじゃ気がつかないのですが、湯船に張ってみると丸分かり!

飲むわけじゃないから仕方ないと思いつつ・・・微妙です。

部屋からの風景 室内

湯船

周荘名物
さすがにアップでは撮れませんでしたが・・・いたるところに同じような店が(^^;

変な感じですけど、どの店も変わり映えしないんですよねぇ。

それしか売っていないから同じようにならざるを得ないんでしょうけどね。

ちなみに名物は「万三蹄」という豚足の煮込みです。醤油みたいなので煮込んでいるので

いい色艶をしています。その日の夕食に出ましたが、トロトロになっていて

美味でした。結構日本人好みの味だと思います。ちょっと濃い目だけど。

ガイドのレイコさんから、なぜ豚なのに蹄(馬)の字が使われているのか聞きました。

何でも昔王様がこの地を訪れた時に領主が名物料理でもてなそうとしたそうです。

そして王様から「これはなんだ?」と料理を指して聞かれたときに答えようとして

はた、と固まってしまったそうです。元々豚足煮込みなのだから、料理名には当然

「豚」に関する字が使われていたわけです。でもその字は王様の苗字と同じ字・・・。

もし領主がそのまま料理名を言っていたら、領主は王様の名前がついた料理を

食べているということになり、心の狭い王様に打ち首にされてしまいます。

そこで機転を利かせた領主はとっさに自分の名前に使っている「蹄」に差し替えて

「万三蹄です」と答えたとか。本当に王様、心が狭い・・・。
万三蹄やさん

水郷の街並み
双橋から水郷村の出入り口へ向かって歩いている最中に見た風景です。

いかにも中国らしく、言葉は悪いけど片田舎というかノンビリとした雰囲気です。

でも実際はとっっても観光地になっているらしく、日曜祝日には上海や近郊から

観光客が大量に押し寄せているそうです。日本人ももちろん多いんですって。

写真に観光客があまり映っていないのは、ただ単に夕方だったから・・・。

上海からの日帰りツアーが多いので、この時間になると帰らないといけないわけです。

あさゐ達は、この近くのホテルに宿泊することが決まっていたので問題ないですが。
渡し舟? 水郷の夕暮れ

水郷村に暮らす人々

双橋
迷楼でもっとも有名な橋といっても過言ではないでしょう。

世徳橋と永安橋という、太鼓橋と平らな橋が直角に交差している珍しい橋です。

昔、まだ周荘が有名でない頃に、陳逸飛という有名な画家がこの橋の絵を描いて

アメリカの石油会社の社長が買ったのですが、それを小平に送って、小平が

感動したことにより周荘の名前が有名になったそうです。

ガイドのレイコさんによると「これぞ本当の(古き良き)中国の姿だ」と言ったとか。

切手ににもなったそうですから、中国人にとって「心のふるさと」という感じでしょうか。
双橋

沈庁(沈さんち)
富安橋の近くにある沈庁は1742年に沈さんが建てた豪邸です。

第一室から第八室か九室まで東西に長く連なった木造2階建ての建物です。

長すぎるせいなのか、第一室が水路に面しているからなのか分かりませんが

第一室と第二室の間には細い道が横切っていましたが・・・。

奥へ行くほど親しい人が入れるようになっていて、家族の生活スペースは2階だそうです。

大金持ちの割には微妙に質素な沈さんのお宅・・・1番奥にある応接間には

王様が来た時に準備した食事の複製品が置かれていたのですが、それも質素・・・。

でもそれにはちゃんと理由があったそうです。何でもその当時の王様は

とっっても嫉妬深い人だったらしく、自分よりお金持ちの人がいると捕らえて

処刑したりしたそうです。そこで沈さんは殺されないために質素にしたそうです。

いくら臣下がお金持ちでも王様なんだから、もうちょっと大きな心を持てばいいのにねぇ。
第一室から水路を臨む  沈さんちの大理石飾り

富安橋
迷楼内は水郷村だけあって、水路が張り巡らされているので、もちろん橋が多いです。

橋の下は船が行き来するので、ほとんどがアーチ型の橋になっています。

富安橋はその1つなのですが、橋を初めて渡る人は渡り終えるまで話してはダメとか。

幸せが逃げるとかいうお話です。あさゐ達ツアーのメンバーはもちろん初めてなので

みんな無言で橋を渡りましたよ。あさゐは思わず息まで止めてしまいました。
富安橋 富安橋の上から

橋のたもとの角にはそれぞれ橋楼と呼ばれる建物が立っているのが珍しいそうですが

多分赤ちょうちんの建物でしょう・・・珍しいんかな?

結構それっぽい建物は橋の横にあったような気もするんですけど・・・。

何かあさゐには分からない特徴があるのかもしれませんよね、ええ多分。

900年前の建物
水郷村の門を入ってすぐ右の建物です。結構リフォームしているような気もしましたが

900年前の建物らしく、確かに瓦とかは古かったです。

酒楼とあるので居酒屋なのかと思ったりもしましたが、お食事処をいう感じです。

2階に見えるのはテラス席・・・?季節的にちょっと寒そうでしたけど。

結構夕方だったのに、あさゐ達以外にも観光客がウロウロしていました。

昼間だったらもっと人がいたのかな~と思ったり。
水郷の酒楼

うっ・・・!
これも水郷村に入るために待っている時に撮った写真です。

「呉字紡臭豆腐」とでも書いてあると思われます・・・最初の3文字は多分ですが。

広さにして8畳から10畳ぐらいの広さの飲食店のようでしたが、壁はありません。

そしてテーブルも1つしかありませんでした。店員さんがいたので中の写真は

撮ることができませんでしたが。

臭豆腐ってあれですよね?豆腐が醗酵していてすんごい臭いがするという噂の。

客がいない=調理していないなので、臭いがしたわけではありませんが

看板を見た途端、思わず顔が引きつってしまいました(^^;
臭豆腐店

迷楼
迷楼(メイロウ:中国語ミーロウ)というのですが、迷楼と言うより迷路でした。

ガイドさんに連れられるまま、右へ左へウロウロしていたのですが

絶対迷うような気がします。時々名所の方向と距離を示した看板がありましたが

そもそも自分が迷楼内のどの辺りにいるのかがハッキリしないわけですし。

道幅は1メートル強といったところで、道の両脇には観光客相手のお店が

ズラリと並んでいます。シルク製品やハンコ屋さんやアクセサリー屋さん。

そしてアジアンチックな洋服屋さん・・・?

店先のバケツにはカメが泳いでいたり、名前も分からない魚が浸かっていたり。

絶対あれって食用ですよね・・・(^^;

ようやくたどり着いた「迷楼」は本当に小さな建物でした。閉められているので

内部を見ることは出来ませんでしたが、15人も入ったらいっぱいになるそうです。

100年ほど前にメンバーが6人ほどの文学結社がここで内緒で集まって

それまで無茶苦茶ややこしかった中国語を分かりやすくするために色々していたとか。

「言語」を変えるということは当時の政府を覆すということに繋がるので

この「迷楼」は本当に迷路のように奥の方に作られているわけです。

見張り塔もあるし、兵士がたどり着くのに時間がかかりますからね。

メンバーは12人まで増えたそうですが、8人は捕らえられて処刑されたそうですが。
迷楼へ向かう途中 迷楼内の洋服屋さん

またしても腸閉塞の疑い
木曜日の深夜、どうも胃の辺りが変な感じ・・と思いつつ金曜日の朝を迎えましたが

やはりどうもおかしい・・・でもとりあえず会社には行ってみました。

朝も食べず、昼も食べずに仕事をしていたのですが、本格的にあやしくなってきたので

急遽早退していつもの医者へ行くことになりました。

電車の中で「もうヤバイ」というような状態だったのですが、何とか到着。

そしてそのまま入院となってしまいました。

レントゲンと撮るにも立ち上がれなかったので、寝たままの状態で撮ることに。

激痛に耐えつつ、水分補給のための点滴と、結構強烈に効く痛み止めを打ってもらい

何とか夜を過ごし、土曜日も寝たまま過ごし、日曜日の今日、あまりの

ベッドの堅さと絶飲食に耐えかねて、無理やり退院許可をとりつけて

帰ってきました。どこにいても流動食からはじめなくてはいけないので

家でもいいだろう・・・と思いまして。

しかし2週連続で腸閉塞になるなんて・・・

おなかの調子には十分気をつけないといけないとつくづく思いました。
細っこい塔
周荘水郷村に入る前、本来なら3日目の朝に行く予定だったのをガイドのレイコさんが

3日目の天気予報が雨だったとのことで、急遽2日目の夕方に訪問することになり

あさゐ達は入場門の前でしばらく待っていました。

そこで目に付いたのがこの細っこい塔です。5重ぐらいあるのかな~~?

昔は見張りのための塔だったらしいのですが、階段なさそうなんですよね。

やっぱり内部ははしごなのかしらね。それにしても何に対しての見張りなのか・・・。

まぁあとで何となく分かったような気がするんですけどね。
見張りの塔

輪タク
再びバスで移動し、到着した周荘(周庄)も水郷村として有名です。

ここも200年以上前の建物が立ち並んでいるのですが、村に入場するためには

もちろん料金が必要です・・・100元(1500円ぐらい?)だそうです。

村内部には歴史的に有名な建物も多いのですが、それぞれに入るために

その入場券は必要となります。あさゐ達はツアーなのでガイドさん任せですが。

腰が痛いあさゐは、輪タクに乗りたい気分タップリでしたが、中には入れないので

仕方なくここでも歩き・・・。

輪タク

とある会話
部長「お前は何してるんだ?」

班長「何って・・・一生懸命仕事しているつもりですけど」

部長「・・・ふ~ん・・・随分片付いた机だな」

班長「そうですか」

確かにウチの(働かない)班長の机の上はすっごく片付いています。

断っておきますが「キレイ」ではありません。消しゴムのカスがボロボロ落ちてたり

クリップがこぼれていたり、パンチで穴をあけた後のゴミが落ちていたり。

ただ、仕事の書類関係が置いていないだけってやつですね。

あるのはパソコンのキーボード、マウスパッド、マニュアルの束など・・・。

部長、やっと分かってくれたのかしら?班長が仕事してないってこと。

あさゐと同僚の机の上が書類で溢れているってことに・・・。

でもその班長、あさゐ達に自分の仕事を手伝ってくれって言うんです。

はっきり言って・・・あさゐ達は10月に人数が減ってから3人分の仕事と

営業からの質問、本社からの電話などなどを2人でこなしているので

とっっても忙しいんですけど(^^;
山塘街・水路側
やはり蘇州は東洋のベニス・水郷と言われるだけあって、水路が生活に密着しています。

山塘街ももちろん道路と反対側は水路になっていました。

家から直接船に乗れるようになっていて、こちらの方が便利なのかもと思ったり。

いくつも連ねてぶら下がっている赤い提灯がいかにもチャイナチックですよね。

現在の水の色を見ていると、さすがに生活用水としては使えなさそうですが

昔々(明とか清の時代)だったらどうなんでしょう?洗濯とかしたんですかね?

今でもしているらしいのですが、そんな現場を発見することは出来ませんでした。

でも・・・あさゐ的にはこの水で洗ったら余計汚れそうな気がします。
いかにも水郷 観光地化していない方

ヨーロッパ系観光客

ここはどこの国のツアーでも回るポイントになっているのか、観光バスが次々と

到着していました。あさゐ達日本人ツアーもいくつか、そしてイタリアからと

フランスから。日本人ツアーは旅行会社の名前入りバッジをつけているのですが

イタリアは緑色の野球帽(?)に「ITALIA」と書いてあり、フランスの場合は

青色にフランス国土の形が書かれていて、その下に漢字でフランスと書かれていました。

バッジよりもイケてない・・・。
蘇州・山塘街
サントウガイと読むのですが、かれこれ900年ぐらい前に建てられた家々が

石畳の道の両側に並んでいます。あさゐ達が連れて行ってもらったのは観光客相手の

比較的再開発&整備が進んだところでしたが、それでも十分古さを感じました。

ちょうど真ん中付近でしょうか。どうやら小学校があるらしく、迎えに来た親と一緒に

下校していく子供達を大勢見かけました。

子供達同士で帰る子達は売られているお菓子を買い食いしたり・・・。

あさゐも何か食べたいと思ったのですが、やはり腰の痛みに苦しんでいたので

それどころではなかったのですが・・・。
山塘街

屋根瓦を直している人もいましたけどね・・・。
山塘街・屋根瓦の修理?

試食コーナー
あさゐ、今日ちょっとびっくり(?)してしまいました。

いや大したことではないんですけどね。自宅近所のスーパーでの出来事です。

スーパーとか行くと、新製品とかの試食コーナーとかありますよね?

キャンペーンガールみたいな人がお菓子を配っていたり、和服姿の女性が

新米で握ったおにぎりを配っていたり、おばさんがウィンナーを焼いていたり。

それとは別に置きっぱなしになっている試食品・・・今日見たのはキウイでした。

蓋つきのケースにかまぼこ状に切られたキウイが爪楊枝と一緒に盛られていました。

今ってキウイのシーズンなんですかね。商品のキウイが山盛りです。

そこに現れた1人の女性。結構若いと思うんですよね。20代半ばぐらい?

その彼女がキウイを試食します。一気に3つか4つ突き刺して一口でバクッと。

・・・まぁそれはいいでしょう。美味しいだろうし、キウイが好きなのかも。

でもそれで終わらなかったんです。彼女は1度爪楊枝を捨て蓋を閉めてからも

キウイ売り場を離れません。ジーッとキウイの山を眺めています。

そして再び!蓋を開けて大量のキウイを口の中へ!

あさゐは野菜売り場にいたのでその様子を(思わず)じっくり見てしまいました。

結局彼女は4~5回それを繰り返して、試食コーナーに準備されていたキウイを

ほとんど全部食べきっていました・・・3つ分ぐらいかしら?

そして最終的に何も買わずにその場を離れていったんですけど・・・。

おばさんや子供ならともかく、うら若き女性がそんなに食べるなんて。

そんなにおなかが空いていたのでしょうか?
留園の女性
留園に入るにはもちろん、入場料が要りますし、ちゃんと窓口もあります。

あさゐ達はツアーなので、ガイドのレイコさんがまとめて買うので

どんな人がいたのかはっきりと見えませんでしたが、ごく普通のおばさんでした。

やる気のなさそうな売店もおばさんが店番をしていました。

でも中には中国の楽器を演奏したり、京劇(っていうんですか?)を舞う

女性とかいました。京劇って女形がするんだった気もするので、男の人かも(^^;

演奏中は楚々とした人たちでしたが、偶然通りかかった控え室では結構バタバタと

動き回って大変そうでした。

琵琶を弾く女性 京劇

でも京劇はちゃんとした舞台を見てみたいな~と思いました。
人生3度目の腸閉塞
3度目ともなれば慣れたものです。1日の夕方に胃の辺りが痛みはじめて

「危険な痛みだ・・・」と同僚に訴えつつ帰宅したものの、痛みはジワジワ持続中。

絶対ヤバイと思いつつも、腸閉塞でないことを願いつつご飯を食べたら・・!

思ったとおりの胃辺りの激痛がっ!

痛みに波があるので、ちょっと治まるのを待って顔を洗い、荷物を準備し

救急車で病院へ。ストレッチャーに乗ったまま主治医のいる病棟へ行きました。

レントゲン写真にうつる黒い影が腸閉塞の証拠です。
レントゲンのコピーを撮りました 赤いしるし辺り

ただし、初期段階で駆け込んでいるので、3日の朝までは絶食&点滴でしたが

昼には帰らせてもらえました。もうしばらくいてもいいよと言われましたが

病院にいる限り絶食だし、ベッドは堅くて寝にくいし・・・。

3連休は大人しくしていることを条件に帰らせてもらえました。
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